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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4824号 判決 1975年1月30日

甲事件原告・乙事件被告 関川儀一

甲事件被告・乙事件原告 関川コノ 外七名

主文

一  昭和四八年(ワ)第二五六八号事件原告の請求をいずれも棄却する。

二  昭和四八年(ワ)第四八二四号事件原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を昭和四八年(ワ)第二五六八号事件原告の負担とし、その余を昭和四八年(ワ)第四八二四号事件原告らの負担とする。

事実

(以下昭和四八年(ワ)第二五六八号事件原告(昭和四八年(ワ)第四八二四号事件被告)を原告と呼び、昭和四八年(ワ)第二五六八号事件被告(昭和四八年(ワ)第四八二四号事件原告)を被告と呼ぶ。)

第一当事者の求めた裁判

(昭和四八年(ワ)第二五六八号事件)

一  請求の趣旨

1  原告に対し、被告関川コノは金八三万三三三三円を、その余の被告七名は各自金二三万八〇九五円を各支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

(昭和四八年(ワ)第四八二四号事件)

一  請求の趣旨

1  原告は被告関川コノに対し金一〇六万六六六六円及びこれに対する昭和四六年七月二五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、その余の被告七名に対し金一万九〇四三円及び右各金員に対する昭和四六年七月二五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二当事者の主張

(昭和四八年(ワ)第二五六八号事件)

一  請求原因

1  原告は、かねて兄の関川儀平(以下儀平と称する)と民事調停において係争中であつたが、昭和四六年七月二五日午前八時三〇分ころ右調停の件で儀平方居宅を訪ねたところ、同人はその妻である被告関川コノ及び三女である被告関川慶子と共謀して原告に対し木片、棒、箒の柄で頭部等を乱打するなどの暴行を加え、もつて同人をして頭部打撲切割兼打撲腫(五か所)の傷害を負わせた。右傷害による後遺症として原告は頭痛や手の指のしびれがひどくて労働に堪えることができず、全治の見込みも立つていない。

2  儀平は右不法行為により原告の被つた精神的肉体的苦痛に対する損害賠償として慰藉料を支払うべきであり、その金額は二五〇万円をもつて相当とする。

3  儀平は昭和四八年一二月二九日死亡し、同人の配偶者たる被告コノ及び子である被告高橋喜美江外六名が同人の権利義務を承継した。

4  よつて原告は、法定相続分に従つて、被告コノに対し金八三万三三三三円の、その余の被告七名に対し各金二三万八〇九五円の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1のうち、原告と儀平とが兄弟であること、右両名の間に民事調停事件が係属していたこと、原告がその主張の日時に儀平方居宅を訪ねたこと、被告コノ及び同慶子が原告に対し箒の柄および木片で暴行を加えたこと、及び請求原因3の事実は認め、その余の請求原因事実は否認する。

三  抗弁

被告コノ及び同慶子が原告に対し暴行を加えたのは原告の儀平に対する暴行から同人を防衛するために出たものである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

(昭和四八年(ワ)四八二四号事件)

一  請求原因

1  原告は昭和四六年七月二五日午前八時三〇分ころ兄の関川儀平の居宅を前ぶれなく訪問し、突然「アジのたたきにしてやる。」と叫び儀平に対し両手で首を締めつけて押し倒し馬乗りになるなどの暴行を加え、もつて同人を失神せしめる傷害を負わせた。

2  原告は前同日同所において、儀平の妻である被告関川コノが原告の右暴行を制止しようとすると、同被告に対し、力いつぱい突き飛ばす暴行を加え、もつて同人をして三週間の安静加療を要する左鎖骨不全骨折の傷害を負わせた。右傷害による後遺症として同人はたびたび左肩関節の捻挫症状を起こし、痛み、肩こりを伴なう神経症を残している。

3  原告は右不法行為により儀平及び被告コノの被つた精神的肉体的苦痛に対する損害賠償として慰藉料を支払うべきであり、その金額は儀平につき金二〇万円、被告コノにつき金一〇〇万円をもつて相当とする。

4  儀平は昭和四九年一二月二九日死亡し、同人の配偶者である被告コノ及び子である被告高橋喜美江外六名が同人の権利義務を承継した。

5  よつて被告コノは原告に対し、固有の慰藉料請求権に基づく金一〇〇万円と亡儀平の慰藉料請求権の法定相続分たる金六万六六六六円を合算した額である金一〇六万六六六六円及びこれに対する不法行為の日である昭和四六年七月二五日から支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、その余の被告七名は亡儀平の慰藉料請求権を法定相続分に従つて分割した額である各金一万九〇四三円及びこれに対する不法行為の日である昭和四六年七月二五日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを各求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実のうち、被告ら主張の日時に原告が兄の儀平の居宅を訪問したこと及び同4の事実は認め、その余の請求原因事実は否認する。

第三証拠<省略>

理由

一  原告が亡儀平の弟であること、及び昭和四六年七月二五日午前八時三〇分ごろ原告が儀平方居宅を訪ねたことは当事者間に争いがない。

成立に争いがない乙第三号証、同第四号証の一ないし五、同第六ないし第七号証、及び証人山下文雄、同関川慶子、同関川タイ、同関川正義の各証言並びに原告及び被告関川コノ各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

原告は昭和四五年東京北簡易裁判所に儀平を相手方として二一四万二〇〇〇円の損害賠償を求める民事調停の申立をなし、昭和四六年七月当時、現に右調停事件が両者間に係属中であつた(右調停係属の事実は当事者間に争いがない。)。右申立の理由とするところは、昭和四年及び昭和六年に相手方が申立人に交付すべき金員の一部を着服したこと、及び昭和二一年申立人が病気で入院中郷里から送られた白米一斗を相手方が横取りしたこと等により申立人が損害を被つたというのであるが、儀平は右事実を否定し全く問題にならないものとして取り合わず、調停期日にも出頭しないことが多かつた。しかし一方において儀平はかねてから原告に対し金員を貸与して経済的に援助することがあつた。原告は調停事件の経過が自己の意のままにならないところから儀平を勤務先にまで訪ねることがあり、一方儀平は原告の乱暴な性格を知り原告から暴行を加えられることを怖れていた。

かかる状況にあつたとき、原告は右調停で問題となつている昭和二一年の入院中の米の件等について儀平と話をしようと思い立ち、前記のとおり昭和四六年七月二五日午前八時三〇分ごろ訴外山下文雄を伴つて儀平方を訪ねた。

原告は初め玄関近くの廊下で儀平と話をしていたがそのうちに言い争いとなり、原告を押し帰そうとした儀平と原告との間でとつ組み合いの喧嘩が始まり、原告は儀平の首を絞め、儀平は原告を殴る等互いに暴行を加え、これを止めようとしてその場に出て来た被告コノを原告が突き飛ばしてコノは縁側の下の土間に落ち、そのためコノは傍らの箒の柄で原告を殴打し、さらに儀平の三女の被告慶子も付近にあつた頭髪用の木製ブラシで原告を殴打し、互いに争つているうちに原告は玄関の方へ逃げ、これを追つて来た儀平と原告との間で両名とも棒切れないし板切れを所持しての争いとなり、その後原告は訴外山下文雄を伴つて帰つて行つた(被告関川慶子及び同関川コノが原告を木片および箒の柄で殴つた事実については当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

しかして、成立に争いない甲第一号証によれば、原告は右抗争の際治療一〇日間を要する頭部打撲切割創兼打撲腫(五か所)の傷害を負つたことが認められ、また成立に争いない乙第一号証によれば被告コノは加療三週間を要する左鎖骨外端不全骨折の傷害を負つたことが認められる。

なお原告本人尋問の結果中には原告が右抗争の際何かに殴られて気を失つた旨の供述が存するが、にわかに措信し難い。

また被告らは、儀平が原告の暴行により失神せしめられた旨主張するが、右事実を認めうる証拠はない。

二  叙上認定の事実関係によれば、原告と儀平、被告コノ、同慶子との間に行なわれた前記暴行行為は、原告と儀平との間に古くから存した根深い対立関係に起因したいわゆる喧嘩闘争と認めるのが相当である。しかして喧嘩闘争における双方の行為はいずれを侵害行為とし、いずれを防衛行為となすかはきわめて困難である(本件の場合においてもこのことは前記認定により明らかである。)が、さりとて必ずしもすべての場合に双方の行為を不法行為として断ずべきものではない。すなわち行為が比較的軽微であり、かつ諸般の事情からこれを法律をもつて厳重に律するほどの違法性に乏しいと認められるときは、いわゆる喧嘩両成敗として両者の責任を否定することも許されるものと解される。

そこで本件抗争の態様をみると前示認定のごとく、本件において行なわれた暴行には木片、棒、箒の柄なども用いられているから、これを用いての喧嘩がただちに違法性の少ないものであると評価することができないのはもちろんであるが、前示のように、これらは最初から本件喧嘩闘争の用具として意図的に用いられていたものではなく、素手での争いのうちにたまたま用いられるに至つたものと認められ、原告の被つた傷害もさほど甚大なものとは考えられない(原告は後遺症が甚しいと主張し、成立に争いない甲第二ないし第四号証にはこれにそう症状の記載が存するが、これらがすべて本件抗争中の暴行により生じたものとは認め難い。)。また儀平が失神した事実の認め難いことは前示のとおりであり、被告コノもまた本件の喧嘩闘争に自ら参加し、原告により突き飛ばされた後に箒の柄をもつて原告を殴つていることからみれば右コノの受けた前記傷害は必ずしも重くないことが推認できる。

そして原告は儀平の実弟、被告コノは儀平の妻、被告慶子は儀平と被告コノとの間の娘であるから、本件抗争はいわば身内における抗争にすぎず、この身内間での抗争が近隣の平和を著しく乱すがごときものであつたことを認めるに足る証拠はない。

そのほか前記認定の事実関係に照らすと、本件抗争における各暴行行為には、法により厳重に律するごとき違法性が乏しいものと認めるのが相当である。

三  以上述べたところによれば、昭和四八年(ワ)第二五六八号事件原告の請求及び昭和四八年(ワ)第四八二四号事件原告らの請求はいずれも理由がないこと明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村正人)

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